自己紹介を書いたら、漬物石のように重い気分になる内容になりまして

自己紹介が漬物石のように重い
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死のう、死のう、明日こそは死のう、明日が無理なら明後日、何が何でも絶対に、どんなことがあろうと死なねばならぬことよなぁと、ずっとずっと思い続けてずるずると、やってきたのです。

嶽本野ばら, 2002,「コルセット」,『エミリー 』, 集英社.

ブログを始めて1ヶ月と少し経ちましたので、自己紹介記事を執筆しようと思いました。

今の自分を形作っているようなエピソードを二つ書いたのですが、下書きを読み返してみると、全面的に、上の一文のような雰囲気の内容となってしまいました。

これは、私の大好きな作家、嶽本野ばらさんの、一番好きな作品「コルセット」(『エミリー』に収録)の冒頭の一文です。

いや、でも、いくら大好きだからと言ったって、自己紹介が最初から最後までこの雰囲気なのは、

あかん…これはあかんやつや。

というわけで、暗黒の底なし沼のようなエピソードを要約して、ちょっとだけ軽〜い感じにしてみよう。

レッツ・ゴー!

目次

自己紹介にかえて|暗黒のエピソード・一つ目の要約

本屋に足繁く通う、中学生の「私」。雑誌の中に、小説の中に、漫画の中に、理想の誰かがいるかもしれない、と探し求める。今世のうちにその誰かのことを頭の中で思い描き、生まれ変わったらこうなりたいと念じ続ければ、願いが叶って来世こそは幸福に生きていけるかもしれない、と毎日のように考えるのであった。

あ、3文で終わっちゃった。

要約しすぎて分かりにくいので、やはりもう少し詳しく述べます。

とにかく自分のことが嫌いで、もう何もかもいやだ、何らかの才能に恵まれた人間に生まれたかった、と思っていました。今世で楽しく過ごすことは諦めていました。

自分の性格が嫌い。容姿も嫌い。そして、「自分ぎらい」の最たる理由が……

ピアノがうまくならない、ということでした。

私、ナナメ姉さんは、ピアニストとピアノ講師をしております。

4歳の時からピアノを弾いていました。

小学校2年生の時に、ピアニストになりたい、と、学校の文集に書きました。

その夢は、結果的に叶いました。

けれども、私の「ピアノ道」は、順風満帆とは程遠いものでした。

小学校高学年くらいでしょうか。〈ピアノがうまい〉ことがアイデンティティだったのに、どうやらそうではないことに気付き始めたのは。

それはまるで、安物のメッキが少しずつ少しずつ剥がれていくかのようでした。

幼い頃から数々のピアノコンクールで良い成績をおさめてきた私の受賞歴は、小学校5年生の時に受けた、とあるコンクールでの「銅賞」を最後に、ピタリと止まったのでした。

以後、10代のほとんどの時期を、できる最大限の努力をしているにも関わらず思うようにピアノが上達しない、というスランプの中で過ごすこととなります。

長い長い、終わりの見えない地獄のようでした。

つまり、中学の三年間というのはスランプの真っ最中だったわけですが、「理想の来世」のイメージを固めるべく、本屋に行って現実逃避をして、数えきれないほどの書籍を読み漁った結果、たくさんのすばらしい作品と出会うことができ、自分の知り得なかった世界を垣間見たり、知識を蓄えることもできたのでした。

人生、何がどう作用するか分からないものですね。

本屋さん、あの時は立ち読みしすぎてごめんなさい。

自己紹介にかえて|暗黒のエピソード・二つ目の要約

自分の音楽生命をかけて、もう一度ピアノコンクールに挑戦することにした19歳の「私」。偏った愛ではあったが、ピアノを心から愛していた。楽譜の1ページ目に「灰」と「死」の二文字を書き込み、指が動かなくなるまで練習し、楽器に触れていない時間はコンクールの演奏曲の分析と学びと研究に充てることにした「私」の、明日はどっちだ──!?

また3文で終わってしまった。
しかも終わり方が丹下段平だ。

分かる方には分かると思いますが、「明日はどっちだ」は、ボクシング漫画『あしたのジョー』のアニメ版で、丹下段平が喋る台詞です。

前半同様、こちらも要約しすぎてしまったので、少し説明させてください。

私は、音楽大学の1年生になっていました。

中学・高校時代に受けたコンクールは全て予選落ち。プライドはズタズタになり、最早、ピアノを弾くという行為は、自分にとっては難し過ぎることなのだと感じるようになっていました。

上達しないのが悔しくてたまらず、耐えられないところまで来ていました。

幼い頃から一番に情熱を傾けてきたが、全て意味のない時間だったのかもしれない。

ピアノがうまくなれなきゃ、生きてる意味がない。私は、どうして生きているのだろう。

そんな中、もう一度ピアノコンクールに挑戦してみようと思い立ったきっかけは色々ありましたが、一つは、親の世代に社会現象を巻き起こす大ヒットを記録したということで手に取った漫画、『あしたのジョー』でした。

燃えたよ‥‥ 

まっ白に‥‥燃えつきた‥‥

まっ白な灰に‥‥‥‥

高森朝雄(原作) / ちばてつや(作画),1973年,『あしたのジョー (20)』,講談社.

最後の試合が終わった後の、ジョーの有名な台詞です。

ひとつのことに極限まで打ち込めば、灰になるのだな、と悟りました。

あしたのジョー』を読んで、ボクシングをやって死んでしまう人がいることが分かった、でも、ピアノを弾きすぎて死ぬ人は、これまでにいなかっただろう。

死ぬほど練習したら、コンクールで一番下の賞くらいには引っかかるかもしれない。

私はピアノには向いていないけど、弾きすぎて死ぬくらい弾きまくれば、うまくなれるかもしれない。

全てのエネルギーを使い果たし、体が動かなくなるまで練習しよう。練習が終わっても、頭は働くだろうから、演奏する曲について学び、分析し、研究しよう。

絶対にピアノがうまくなりたい。うまければ必ずコンクールで入賞する。コンクールで賞を獲るということは、ピアノがうまく弾けることの証明になる。

冷静に考えれば、かつての私のこの考え方はあまり良いものではない上にとても危ういのですが、コンクール出場を決意した私は、とにかく、ピアノの練習と、演奏曲目の研究に、全精力を注ぎ込むことにしたのでした。

楽譜の1ページ目に「灰」と「死」の二文字を大きく書き込みました。毎日、それを見ながら練習をしました。

これが最後のチャンスだ、と自分に言い聞かせて。

なぜ、それほどまでにピアノがうまくなりたかったか。

ピアノを愛していたからです。でも、偏った愛でした。

周囲にいた、ピアノの才能に恵まれていると思われる子は、クラシック音楽の全てを愛している、という感じでした。

私は違いました。惹かれて惹かれてどうしようもなくなり、昼夜問わず聴き続けたくなる曲と、全く興味が湧かない曲がありました。

クラシック以外の音楽も好きでたくさん聴いており、あらゆるジャンルにおいてかなりの知識を蓄えていました。のちにそれは私の大きな強みにもなるのですが、当時は、全てのクラシック音楽を同じように愛せないのは、音楽の才能がないから、向いていないからなのだろうな、と感じていました。

死に物狂いの練習を開始した私は、なりふり構わずでした。

コンクールで演奏する曲は、ピアニストによる録音は勿論のこと、いくつ聴いたか分からないくらい聴きましたが、自分には基礎的な何かが欠けているのかもしれないと考え、友人が中学生の時に弾いた時の録音を何度も聴いたりしました。その友人は、私とは比べ物にならないくらい優秀なピアノ弾きでしたし、中学生当時の演奏にも、私にとっては学ぶべきことが山ほどあるはずだと思ったのです。

ステージ上でとても緊張するタイプなので、本番では実力の30%しか出ないことを想定しつつ、それでも他のコンテスタントと渡り合えるように、1小節、1小節の完成度を高めるべくピアノと向き合いました。

一切の娯楽を断つことを自分に課しました。

曲にたいする造形を深めるため、作曲家の伝記や専門書を読みこみました。

親に無理を言って頼みに頼み込んで、一度だけ、高名な教授による1時間4万円のピアノレッスンを受けさせてもらいました。

「この子はうまいな」と思う同級生の弾き方の、真似もしてみました。

予選は、通過しました。この世の中に、「予選通過」という事象があるのだな。私にもこんなことが起こるのだな。そう思いました。

他の参加者の本選での演奏曲目が分かっていたので、今度は、参加者全員の全ての演奏曲目の研究も始めました。

自分の曲を魅力的に弾くことは大事。でも、他のコンテスタントも必ずや様々な魅力を審査員にアピールするはず。それは、美しい音色なのか、目の覚めるようなテクニックなのか、胸をおどらせるドラマチックさなのか、何なのかは未知数。他の演奏者たちがどんなに素晴らしい演奏をしたとしても、勝てるようにしなくては。私は、自分の持ち時間で、ピアノでできうる数多の表現を、やってみせる。

本選のステージでの演奏後、結果が貼り出されても、出場者たちは何故か、なかなか掲示板に近付きませんでした。

私も、恐る恐るそこに向かって歩いていきました。

「死ぬほど練習したら、コンクールで一番下の賞くらいには引っかかるかもしれない」と思って、重ねてきた努力。

祈るような気持ちで、掲示の一番下に目を遣り、ゆっくりと視線を上へ動かしていきました。

私の名前は、一番上にありました。

暗黒のエピソードを要約したつもりが

読んでくださっている方々に自分のことを一番よく分かっていただくにはどうしたらいいだろう、と考えた時に、記憶の扉からパッと飛び出てきたのが、この二つの暗黒のエピソードです。

しかし…

特に二つ目の説明が、とんでもなく長くなってしまった。

要約した意味が…

しかも、重すぎる話をちょっと軽くしようと思って書き直したのに、ほんとにほんのちょぴっとしか軽くなってないのは、何でなのだろう。

兎にも角にも、こうして、私はスランプから抜け出したのでした。

現在の私

このように、暗黒の青春時代を過ごしていた私が、現在どうしているかというと、前述の通り、職業はピアニストとピアノ講師。

結婚し、2児の母となりました。

先日、ピアノを習いに来てくれている生徒さんが言っていました。

「うちのお父さんは、120歳まで生きるんだって」

この言葉を聞いた時、そうか、その気持ち、すごくよく分かる、と思ったのです。

よく分かると同時に、しみじみとした驚きも感じていました。

あれほど来世を夢見ていた私が、120歳まで生きたいという気持ちに共感できるなんて。

生きていると、それだけ、宝物が増えていくのだと思います。

それは、物理的なものだったり、形のないものだったり、記憶だったり様々ですが、辛くてしょうがない時間も、のちに宝物に変わったりするものだな、と実感しています。

私は、むかしの出来事も含めて、心を動かされた大切な記憶の数々を書き留めておきたいと考え、ブログを始めました。

過去を慈しみ、今を思いっきり楽しむ。そんなスタンスで、これから、沢山の投稿をしていけたらと思っています。

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この記事を書いた人

ピアノの演奏と指導を生業としている二児の母。
ドイツに4年間の在住経験あり。
ピアノのコンサート歴19年、指導歴12年。
日本国内の音楽大学を経て研究生修了後、渡独。
ドイツの国立音楽大学を経て大学院修了後、帰国。
出会って心が動かされたもの・ことの記憶って宝物だよね、自分にとっての宝物がどんどん増えていったら幸せだよね、それを沢山の人とシェアできたら楽しいよね。と思っているので、ブログのタイトルを【タカラモノさがし】にしました。

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