ブログを始めて5ヶ月が経過しましたので、自己紹介記事を執筆しようと思いました。が……、

あれもこれも、思い浮かぶ自己エピソードがどれも暗すぎる。
見出しの通りです。
今の自分を形作っているようなエピソードを、まずは書いてみたのです。で、読み直してみたところ、
暗い。暗すぎる。
死のう、死のう、明日こそは死のう、明日が無理なら明後日、何が何でも絶対に、どんなことがあろうと死なねばならぬことよなぁと、ずっとずっと思い続けてずるずると、やってきたのです。
嶽本野ばら, 2002,「コルセット」,『エミリー 』, 集英社.
こちらは、私の大好きな作家、嶽本野ばらさんの、一番好きな作品「コルセット」(『エミリー』に収録)の冒頭の一文です。
内容こそ全く違えど、昔の自分エピソードは、下書きの段階で、この「コルセット」の冒頭並みに重たい重たい雰囲気になってしまいました。しかも、長くなってしまいました。
だから、まずは一つの話を抜き出して、短く書き直しました。ほんのちょっと、ライトにもなったかと思います。

それではレッツゴー。
あの頃、生まれ変わったあとのことばかり考えていた。
とにかく自分のことが嫌いで、もう何もかもいやだ、何らかの才能に恵まれた人間に生まれたかった、と思っていました。今の人生を楽しく幸せに過ごすことは諦めていました。
自分の性格が嫌い。容姿も嫌い。そして、「自分ぎらい」の最たる理由が……
ピアノがうまくならない、ということでした。
◇
私、ナナメ姉さんは、ピアニストとピアノ講師をしております。
4歳の時からピアノを弾いていました。
上のように考えていたのは、中学生だった頃のことです。
小学校2年生の時に、ピアニストになりたい、と、学校の文集に書きました。
その夢は、結果的に叶いました。
けれども、私の「ピアノ道」は、順風満帆とは程遠いものでした。
〈ピアノがうまい〉ことがアイデンティティだったのに、どうやらそうではないことに気付き始めたのは、小学校高学年くらいだったでしょうか。
それは、まるで、安物のメッキが少しずつ少しずつ剥がれていくかのようでした。
幼い頃から数々のピアノコンクールで良い成績をおさめてきた私の受賞歴は、小学校5年生の時に受けた、とあるコンクールでの「銅賞」を最後に、ピタリと止まったのでした。
以後、10代のほとんどの時期を、できる最大限の努力をしているにも関わらず思うようにピアノが上達しない、というスランプの中で過ごすこととなります。
◇
中学生時代は、本屋に足繁く通いました。
雑誌の中に、小説の中に、漫画の中に、理想の誰かがいるかもしれない、と探し求めました。
今世のうちにその誰かのことを頭の中で思い描き、生まれ変わったらこうなりたいと念じ続ければ、願いが叶って来世こそは幸福に生きていけるかもしれない。そう、毎日のように考えました。
長い長い、終わりの見えない地獄のようでした。
スランプ脱出、そして、思いがけぬ作用。
このような状態だった私がスランプを抜け出した経緯は、こちらの記事に詳しく書いてあります。


「理想の来世」のイメージを固めたくて、本屋に行って現実逃避をして、数えきれないほどの書籍を読み漁った、あの日々。
後ろ向きとしか形容できない行動要因ですが、結果、たくさんのすばらしい作品と出会うことができ、自分の知り得なかった世界を垣間見ることができ、知識を蓄えることもできたのでした。
人生、何がどう作用するか分からないものですね。
本屋さん、あの時は立ち読みしすぎてごめんなさい。
今の私。このブログで書いていきたいこと。
暗黒時代を過ごしていた私が、現在どうしているかというと、前述の通り、職業はピアニストでピアノ講師。
結婚し、2児の母となりました。
先日、ピアノを習いに来てくれている生徒さんが言っていました。
「うちのお父さんは、120歳まで生きるんだって」
この言葉を聞いた時、そうか、その気持ち、すごくよく分かる、と思ったのです。
よく分かると同時に、しみじみとした驚きも感じていました。
あれほど来世を夢見ていた私が、120歳まで生きたいという気持ちに共感できるなんて。
◇
生きていると、それだけ、宝物が増えていくのだと思います。
それは、物理的なものだったり、形のないものだったり、記憶だったり様々ですが、辛くてしょうがない時間も、のちに宝物に変わったりするものだな、と実感しています。
私は、むかしの出来事も含めて、心を動かされた大切な記憶の数々を書き留めておきたいと考え、ブログを始めました。
過去を慈しみ、今を思いっきり楽しむ。そんなスタンスで、これから、沢山の投稿をしていけたらと思っています。



