こちらの記事で、10代の頃に長いスランプを経験したことについて触れました。

沼みたいだったスランプから、どうやって生還したのか、書き綴っていきたいと思います。
「死ぬほど練習したら、コンクールで一番下の賞くらいには引っかかるかもしれない」
私は、音楽大学の1年生になっていました。
中学・高校時代に受けたコンクールは全て予選落ち。プライドはズタズタになり、最早、ピアノを弾くという行為は、自分にとっては難し過ぎることなのだと感じるようになっていました。
上達しないのが悔しくてたまらず、耐えられないところまで来ていました。
幼い頃から一番に情熱を傾けてきたが、全部、意味のない時間だったのかもしれない。
ピアノがうまくなれなきゃ、生きてる意味がない。私は、どうして生きているのだろう。
そんな中、もう一度ピアノコンクールに挑戦してみようと思い立ったきっかけは色々ありましたが、一つは、親の世代に社会現象を巻き起こす大ヒットを記録したということで手に取った漫画、『あしたのジョー』でした。
燃えたよ‥‥
まっ白に‥‥燃えつきた‥‥
まっ白な灰に‥‥‥‥
高森朝雄(原作) / ちばてつや(作画),1973年,『あしたのジョー (20)』,講談社.
最後の試合が終わった後の、ジョーの有名な台詞です。
ひとつのことに極限まで打ち込めば、灰になるのだな、と悟りました。
『あしたのジョー』を読んで、命をかけてリングに上がり死んでしまう人がいることを知った、でも、ピアノを弾きすぎて死ぬ人は、これまでにいなかっただろう。
死ぬほど練習したら、コンクールで一番下の賞くらいには引っかかるかもしれない。
私はピアノには向いていないけど、弾きすぎて死ぬくらい弾きまくれば、うまくなれるかもしれない。
全てのエネルギーを使い果たし、体が動かなくなるまで練習しよう。練習が終わっても、頭は働くだろうから、演奏する曲について学び、分析し、研究しよう。
絶対にピアノがうまくなりたい。うまければ必ずコンクールで入賞する。コンクールで賞を獲るということは、ピアノがうまく弾けることの証明になる。
冷静に考えれば、かつての私のこの考え方はあまり良いものではない上にとても危ういのですが、コンクール出場を決意した私は、とにかく、ピアノの練習と、演奏曲目の研究に、全精力を注ぎ込むことにしたのでした。
楽譜の1ページ目に「灰」と「死」の二文字を大きく書き込みました。毎日、それを見ながら練習をしました。
これが最後のチャンスだ、と自分に言い聞かせて。
◇
なぜ、それほどまでにピアノがうまくなりたかったか。
ピアノを愛していたからです。でも、偏った愛でした。
周囲にいた、ピアノの才能に恵まれていると思われる子は、クラシック音楽の全てを愛している、という雰囲気に満ち満ちていました。
私は違いました。惹かれてどうしようもなくなり、昼夜問わず聴き続けたくなる曲もあれば、全く興味が湧かない曲もあったのです。
クラシック以外の音楽も好きでたくさん聴いており、あらゆるジャンルにおいてかなりの知識を蓄えていました。のちにそれは私の大きな強みにもなるのですが、当時は、(全てのクラシック音楽を同じようには愛せない、イコール、音楽の才能がない、向いていない)ということなのかもしれないな、と感じていました。
◇
コンクールで演奏する曲は、ピアニストのCDを何枚も何枚も、数えきれないほど聴きました。が、自分には基礎的な何かが欠けているのかもしれないと考え、友人が中学生の時に弾いた時の録音を聴き込んだりもしました。その友人は、私とは比べ物にならないくらい優秀なピアノ弾きでしたから、たとえ中学生当時の演奏にだって、大学生となっていた私にとっては学ぶべきことが山ほどあるはずだと思ったのです。
時には手足が震えるほど緊張するタイプなので、本番で出せるのは実力の30%、体の動きやすさも普段の30%、と想定しつつ、それでも他のコンテスタントと渡り合えるように、1小節、1小節の完成度を高めていきました。
親に無理を言って頼みに頼み込んで、一度だけ、高名な教授による1時間4万円のピアノレッスンを受けさせてもらいました。
曲にたいする造形を深めるため、作曲家の伝記や専門書を読みこみました。
「この子はうまいな」と思う同級生の弾き方の、真似もしてみました。
一切の娯楽を断つことを自分に課しました。
私は、なりふり構わずでした。
◇
予選は、通過しました。この世の中に、「予選通過」という事象があるのだな。私にもこんなことが起こるのだな。そう思いました。
他の参加者の本選での演奏曲目が分かっていたので、今度は、参加者全員の全ての演奏曲目の研究も始めました。
自分の曲を魅力的に弾くことは大事。でも、他のコンテスタントも必ずや様々な魅力を審査員にアピールするはず。それは、美しい音色なのか、目の覚めるようなテクニックなのか、胸をおどらせるドラマチックさなのか、何なのかは未知数。
他の演奏者たちがどんなに素晴らしい演奏をしたとしても、勝てるようにしなくては。私は、自分の持ち時間で、ピアノでできうる表現の全てを、やってみせる。
◇
本選のステージでの演奏後、結果が貼り出されても、出場者たちは何故か、なかなか掲示板に近付きませんでした。
私も、恐る恐るそこに向かって歩いていきました。
「死ぬほど練習したら、コンクールで一番下の賞くらいには引っかかるかもしれない」と思って、重ねてきた努力。
祈るような気持ちで、掲示の最下方に目を遣りました。
一番下の賞のところに、私の名前はありませんでした。
その上の賞、そのまた上の賞。おそろしく時間をかけて、見ていきました。
私の名前は、一番上にありました。