「スイスの時計職人」ラヴェルのこと~時の記念日に寄せて

「スイスの時計職人」ラヴェルのこと~時の記念日に寄せて
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ふと、壁にかかったカレンダーに目をやると、6月10日の欄に

時の記念日

と印字されているではありませんか。

なんとも素敵で、詩的にも感じられるネーミング。惹かれるものがあります。

この日がなぜそう呼ばれるのか興味が沸いたので調べてみました。

671年4月25日、天智天皇は唐から伝えられた「漏刻」という水時計を用いて時刻を計り、人々に時を知らせる儀式を行った。この日を現在の太陽暦に換算すると、6月10日となる。
1920年(大正9年)、日本国民へ時間の大切さを広める目的で、6月10日が「時の記念日」と制定された。

1960年の6月10日「時の記念日」に開館したという明石市立天文科学館のサイトのこちらのページの説明が、とても詳しく分かりやすかったです。

ところで、時と言えば時計、時計と言えば…、私の頭の中にはフランスのある作曲家の顔が浮かびます。

モーリス・ラヴェル

彼は、「スイスの時計職人」と評されるほど、緻密な音楽づくりをする作曲家だったのです。

目次

「スイスの時計職人」と呼ばれた作曲家、ラヴェル

モーリス・ラヴェル Maurice Ravel (1875−1937)

スイス人で発動機工学の研究者だった父、バスク地方出身の母のもと、スペインとの国境に近いフランス領バスク地方シブールに生まれる。
パリ音楽院に学び、〈ローマ賞〉のコンクールで大賞を獲得すべく数回に渡り参加を繰り返すが、ついに第一等に選出されることはなかった。すぐれた音楽家として注目を集めていたラヴェルの落選は波紋を呼び、音楽院に革命をも巻き起こすほどの一大事となった。
第1次世界大戦時には自動車輸送隊の運転手として、危険な任務も全うした。
晩年は神経系の病気にかかり、1937年に脳外科手術を受けるも捗々しくなく、この世を去った。
彼の音楽は、古典的な枠の中にも独創性がさく列している。その出自に関連してか、スペインの影響が色濃い作品も数多い。

ピアノ作品『高雅で感傷的なワルツ』の思い出

ラヴェルの遺した傑作は沢山ありますが、私が折に触れて聴きたくなるのが、

『高雅で感傷的なワルツ』

『高雅で感傷的なワルツ』は、ラヴェルが1911年に作曲した、ピアノのための作品。翌年には管弦楽版も作られた。テンポも性格も異なる7曲のワルツとエピローグで構成されている。

音楽高校に通っていた頃に、この曲と出会いました。

高名なフランス人の教授が学校に公開レッスンをしに来たので聴講しに行き、そこで初めて耳にしたのが、この作品です。

時折り、教授が弾いてみせてくれたのですが、その音楽はまさに、瀟洒にして軽妙洒脱。エスプリが効いているとはこういうことを言うのか、と新鮮な驚きに包まれました。

しかも、彼の音は軽やかなのに重みがあるのです。この絶妙な脱力感は何なのだろう、と唸ってしまったのでした。

すばらしい演奏のお陰もあって、忘れがたい曲となったこの作品に、またもや心を奪われることになったのは、ドイツの音大に学んでいた時のこと。

日本人の学生のリハーサルを聴くことになったのですが、(同じ日本人がラヴェルの音楽をこのように魅力的に奏でることができるのか…)と思わず嫉妬の念を抱く、そんな演奏でした。

鏡を思わせる音楽。と言っても、ラヴェルのピアノ作品《鏡》のことではなく、概念としての鏡でもありません。

質感がまるで「鏡」ように感じられる、硬質で曇りなき美音が、次々と指先から溢れ出るのでした。

加えて、音楽の〈静〉の部分の妙、というものも、彼女の演奏から味合わせてもらいました。

私はそれまで、ジャーン!と派手に終わる曲を弾く、または聴くことを好んでいましたが、余韻を残しつつ音が少なくなっていくこの曲の締めくくり方を、「うわっ。おしゃれ!」と感じたのです。

『高雅で感傷的なワルツ』のおすすめ名録音

最近好んで聴いている名録音は、こちらです。

セシル・ウーセ (ピアノ)
ラヴェル:ピアノ名曲集(1990年発売)】より

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この記事を書いた人

ピアノの演奏と指導を生業としている二児の母。
ドイツに4年間の在住経験あり。
ピアノのコンサート歴19年、指導歴12年。
日本国内の音楽大学を経て研究生修了後、渡独。
ドイツの国立音楽大学を経て大学院修了後、帰国。
出会って心が動かされたもの・ことの記憶って宝物だよね、自分にとっての宝物がどんどん増えていったら幸せだよね、それを沢山の人とシェアできたら楽しいよね。と思っているので、ブログのタイトルを【タカラモノさがし】にしました。

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